小濁郷土のあゆみ
ロココの生まれた集落の歴史をまとめた小冊子がこのほど刊行されました。
やがて消えゆくであろう小さな集落、切ない思いで読みました。
ロココが生まれた当時は30戸、同級生が10人、いわゆる団塊の世代、村は子供たちの遊ぶ姿がどこにでも見られ、貧しい集落ながら活気に満ちていました。
今では年間通して住んでいる家は、たった4戸になってしまいました。自分の生まれ育った集落がこんなすごい所だったとは・・・この冊子を読むまでは知りませんでした。
全国で消えてしまった集落、やがて消えゆく集落はきっとこれからますます増えていくでしょう、そしてやがて忘却の彼方へ・・・ 。このような冊子を残してくださったことで、後世に伝えていけることは出身者として本当に嬉しいことです。改めて編纂してくださった山崎さんに感謝します。
« 雪国写真館 | トップページ | 雪・雪・雪・・・6月のバラを夢見て・・・ »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 今更ながら・・・お知らせ(2017.04.16)
- 今年もよろしくお願いします(2017.01.06)
- 年の終わりに・・・2016年、私の感動・・・妙高の自然(2016.12.28)
- 新年のご挨拶(2016.01.01)
- おっとっと・・・(2014.12.16)
こちらこそ、わざわざお出でいただいてありがとうございました。
民部さんの事は新聞のお悔やみ欄で見ました
母と民部さんを懐かしみました。
本当に残念です、心からお悔やみ申し上げます。
ロココ(ってガラじゃないんですが・・・
)は民部さんの息子さん&奥様も良く存じております。
村越さんのことも間接的ではありますが存じていました・・・
一度は村越さんのお料理を食べてみたい・・・と、常々思っていますが
いつかご縁がございましたら、よろしくお願いいたします。
投稿: ロココ | 2013年1月 3日 (木) 16時09分
2012年12月26日未明、義祖父 山崎民部が亡くなりました。
小濁誌の関係で調べていたら、ロココさんのこのページを見つけました。
ロココさんと直接のご縁はありませんが、小濁とこの山崎さんのお陰で私の今の活動があります。
これからこの村がどうなっていくかは解りませんが、私にとっても大切な存在として生き続けていくことでしょう。
ありがとうございました。
投稿: 村越洋一 | 2013年1月 3日 (木) 11時34分
papaさんも読んでいただけたんですね、ありがとうございます。
ロココの生家も取り壊してしまいましたので、最近は本当に寂しくて・・・
この冊子が手元に来た時、子供の頃に思いをはせ・・・ました。
投稿: ロココ | 2012年1月27日 (金) 18時32分
こんばんは。こちらの冊子、私も読みました。
当時の生活が目に浮かぶような、とてもよい本でした。
そこにあった生活・もの・人を後に伝えるという、とてもすばらしいことだと感じました。
投稿: papa | 2012年1月26日 (木) 22時44分
すいちゃんも小濁へいらしたことが?
ひょっとしてどこかですれ違っていたかもしれませんね。
ロココは歴史や考古学などちょっと苦手なんですが・・・
身近なふる里の歴史に触れたことで、少し見方が変わるかもしれません。
投稿: ロココ | 2012年1月24日 (火) 21時46分
郷土史は貴重な歴史の記憶です。
私の生まれた小出雲でも、10年ほど前に
「郷土史小出雲今昔」という冊子を発刊しまして、
今も時々、手にとって懐かしんでおります。
小濁は除戸のおじさんの家から近いため、若かりり頃
何度か行って、上り坂を泥だらけになりながら遊んだ記憶があります。
今は、四軒しか民家がないとは・・・。
素朴で、山あいのとても温かい雰囲気
の風景が、広がっていました。
山崎さんのような素晴らしい方、郷土の誇りですね。
投稿: すいちゃん | 2012年1月24日 (火) 08時52分
過疎化はもう誰にも止められない・・・歴史がそれを欲しているのでしょう。
出身者が生きている限り心に残っている、そして小冊子で残されたことで
子孫にも語り継がれて・・・いくと良いな~と。
投稿: ロココ | 2012年1月23日 (月) 23時05分
生活形態の激変で限界集落そして廃村になっていく・・・
これはもう誰にも止められない気がします。
それでも山はそこにあり、生きている限りふる里は心に・・・あり続けます。
小冊子で残してもらえば後世まで伝えていけ、そして伝説になる・・・・
山崎さんには本当に感謝します。
それはそうと「千鳥草の部屋」閉鎖されたんですね、残念です。
投稿: ロココ | 2012年1月23日 (月) 22時59分
ポージーさんも同じような経験をなさっていらっしゃるのですね・・・
父が亡くなって小濁にあった家を取り壊した時に、「雪さえ降らなければ壊さなくても良いのにな~」
と・・・つくづく雪国の切なさを感じました。
自宅の雪さえままならないのに、別宅を管理していくのはとても無理でした。
作業小屋と庭続きの小さな畑を残したので、かろうじて拠り所になっています。
ですが・・・これとて母がいなくなって、私や弟がもっと年をとればやがて無くなってしまう
そのときにこの小冊子が唯一の拠り所になるのでしょう。
話は変わりますが先ほどTVのニュースで、東京や埼玉でかなりの雪が降っている
マーク
です。
映像が流れていました、あまり積もらないと良いですね。
妙高はすでにかなり積もってきました、この一週間はずっと
投稿: ロココ | 2012年1月23日 (月) 21時33分
自分が生まれ育った地が消えて行く・・・どんなに切なく悲しいことでしょう!
小濁、沢山の素晴らしい営みがあったのでしょうね~
冊子が出来たことで、胸の中だけでなく形となったものが残る。これは嬉しいことですね!
田舎の景色、そこでの温もり、人々の暮らし、、、
何時までも残っていてほしいものがどんどん消えて行ってしまいますね。
残念です。
投稿: tomoko | 2012年1月23日 (月) 11時05分
先日、ねおかんで“小濁郷土のあゆみ”を、ちょっと拝見しました。南部のどの集落も、限界集落と言われて久しいですが、その昔小濁に、沢山の営みが有った事を残せた、この冊子は貴重ですね。
ねおかんの村越さんも、数年前から係わっているので、私も何回か訪れた事が有ります。
今年は、“いえあじ”の事業の一つに、会場を小濁にしようと計画しました。
投稿: 世詩絵 | 2012年1月23日 (月) 09時52分
まさにロココさんのお育ちになったふるさとの中のふるさとなんですね。
厳しい環境の中で住民の方々が協力し合いながら守ってきた地域が、
時代の流れの中で失われていきそうになっているのは、切ないことと
思います。私などが想像する以上でしょうね。
私はふるさとを離れていますが、父が亡くなって両親共にいなくなったとき、
拠り所を失ったような何ともいえない寂しさを感じたのですが、そういうのとも
ちょっと似ているかしら…とも思ってみたり。
こういう形で記録を残してくれたことは嬉しいことですね。
集落も続いていくすべが見つかると良いのですが。
投稿: ポージィ | 2012年1月23日 (月) 09時20分
手前勝手ですが、ふるさとはやはりいつまでも残ってほしい・・・
でも、何十年か後には確実に廃村になってしまうのでしょう
寂しい限りですが・・・仕方ない気もします。
やまぶどうさんはいろんな活動をされていらっしゃるんですね、とても尊敬しちゃいます。
ロココもリタイヤ後は趣味だけでなく、何かの役に立つことや、形に残せるものができたら・・・
などと思うのですが、たぶん一生そう思いながら・・・終末を迎えてしまうのかも・・・
投稿: ロココ | 2012年1月22日 (日) 21時24分
今晩は。
私は田舎育ちなので、こういう事にはとても興味があります。
渓流釣りをしていた頃、大井川上流や茶で有名な川根の集落を歩きました。
我が家からは、片道二時間以上かかる春野の町(遠州)へ行くようになったのも、田舎の景色と素朴な人々との触れ合いが好きだったからです。
こういう心癒される場所が、いつまでも残ってほしい・・。
そんな思いから、我が地域とその祖先の地に関するページを作りました。
同じ考えを持った先人もいます。
当時は、インターネットなど想像も出来ない頃でしたから、情報量もずっと少なく大変だったと思います。
後を引き継ぐつもりで、これからもっと充実したものにして行こうと思っています。
地域の歴史や史跡、自然などを取り上げた小冊子も集めています。
孫子の世代に少しでも伝えて行ければと思っています。
投稿: やまぶどう | 2012年1月22日 (日) 18時16分